神秘的エネルギーを感じる寺社仏閣

大悲願寺

真言宗豊山派の大悲願寺は、建久2年(1191)、源平合戦でその名を馳せた武将、平山季重が建立したといわれています。別名萩の寺とも呼ばれています。川狩り(鮎釣り)のために秋川渓谷を伊達政宗が大悲願寺に立ち寄った際、庭一面に咲く見事な白萩に感動し、後日、飛脚を使わして白萩の株を分けて欲しいと所望する内容が記された文書が残っております。そんな、このお寺にはとても切ないストーリーが隠されております。

白萩と貴重な遺構や文化財を数多く収蔵する大悲願時。そんな多摩の古刹には「ある奇妙な話」が伝わっています。13世住職・海誉上人の下に「秀雄(しゅうゆう)」という弟子がいました。大悲願寺に残る「金色山過去帳」によると、この秀雄なる人物は「伊達輝宗公」の二男と記されており、つまりは、貞山公のご舎弟だというのです。しかし、伊達家の記録に秀雄という人物の名前は見当たらず、また、一般に貞山公の男兄弟は「伊達小次郎」のみとされていることから、この秀雄は謀反のかどで誅殺された小次郎君ではないか?という説が生まれたわけです。通説では、天正18年(1590)に貞山公が小田原に参陣する際、その隙をついて弟を伊達家当主に擁立せんと画策する母・義姫の企みを挫くため、小次郎君は貞山公によって成敗されたことになっています・・・が、実は殺されず僧侶となって生きてた・・・!?

大悲願寺

広徳寺

建久二年(1191)創建の真言宗大悲願寺と対峙する位置にあります。臨済宗龍角山広徳寺は、応安六年(1373)開基の正應了受居士によって創立され、鎌倉建長寺七十世心源希微禅師を講じて開山したと伝えられている。天文年間(1532~1555)に北条氏康によって中興され、江戸時代には幕府から四十石の朱印状が与えられ、約一万二千坪の境内地を保有した。現在の堂宇は、18~19世紀に再興された禅宗伽藍を中心に、総門の全面と北側に土塁や貯水池などの遺構が残っている。

光厳寺

建武元年(1334)に足利尊氏が建立し、南北朝第一代の光厳天皇が名前の由来。樹齢400年を超えるヤマザクラは、東京都の三大巨樹と言われており、都の天然記念物に指定されています。春の桜の時期は、満開の桜が咲き、歴史を感じるお花見が可能です。ワイワイ楽しむお花見もいいですが、しっぽりと静かにお花見をするのもここならではです。

雨武主神社

雨武主神社

196段の長い石段を登った先にある本殿には、中国の書物に登場する人物や故事を描いた彫刻があります。 本殿は秋川の南、明神山にあります。秋川を挟んで反対側の岸には、「鳥居場」と呼ばれる、雨武主神社の鳥居があります。 真っすぐと伸びた石段には圧巻されます。登り切った先には光まばゆい本殿を拝むことができます。

阿伎留神社

延喜式神名帳という神社の名簿の中に、武蔵国多磨郡八座の筆頭にあげられるほど有名な古社です。 木々の間から光が差してくる本殿は、とても神々しい風景です。 町から少し離れた、場所に位置していますので、静かな中参拝していただくことができます。